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Re: 出会いが花咲くエンターテイメント楽しい「みかん」スレ

投稿者: しっぽ 投稿日時: 2014/2/11 2:01

むかし孔子が田舎を巡回せられたときに、子供が互いに議論をしているのを見て、車をとどめ、なにを論じているかと尋ねたれば、一人は曰く、太陽は朝は昼よりも近いに相違ない。なぜなれば朝の方が形が大きくして、昼の方が小さい。すべて近き方が大きく見えて、遠き方が小さく見える道理であるといい、他の一人は昼の方が近くして、朝の方が遠い。そのわけは昼は熱く、朝は冷ややかである。すべて火は近ければ熱く、遠ければ冷ややかなるはずだといい、その判決を孔子に頼みたれども、孔子は答えることができなかった。そこで子供が笑って申すには、かかる問題ですら解決を与うることができぬ人を、世間にて聖人などというのは、奇怪千万であるというたとの話が伝わっている。余はまさしくこれと反対の話を聞いたことがある。かつて山陰道の某地を巡回したときに、余と随行と共に人力車に乗り、前後相連なりて走る間に、両人の車夫が互いに話を交えつつあるを聞くに、このごろ学者の演説を聞いたが、学者ほど無益のことを心配しているものはなかろうと思うた。その話に、長き将来には太陽が熱と光とを失い、この世界が真っ暗になり、人間のみならず、すべての生き物がみな死んでしまうときがくるといわれたが、われわれの生きている間にそのようなるときはくるものでないから、決して心配するに及ばぬではないかといえば、他の車夫が学者などはみなそんな無用のことにのみ余計の苦労をしているものだといいて、互いに笑っていたことがある。この話はいくぶんか今日の学者を風刺しているように思う。
 余はかつて自ら学者と称せらるるほどの愚でもなく、文人と呼ばるるほどの俗でもないと申したことがある。今日の学者は実際になんらの用のない無益の空理を争い、空言を弄し、自らこれを得意としているものが多いが、これらみな車夫に嘲笑せらるるの輩である。孔子と子供との問答はもとより作り話であろうけれども、もしこれを事実とすれば、孔子の心中にては必ず困ったものだ、今日は子供までがかかる屁理屈を争うておると嘆息せられたであろう。孔子は実行主義で、知らざるを知らずとせよ、これ知るなりと説いてある。もし孔子の眼より今日を見られたならば、嘆息のあまりほとんど驚死せらるるほどならんと思う。諺に上の好むところは下これに従うというがごとく、学者が屁理屈ばかり説くから、学生みなこれに従うはもちろん、子供までが勧学院のスズメは『蒙求』をさえずる風情にて、屁理屈をもて

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