Re: 白浜町議会、「国会に憲法改正の早期実現を求める意見書」を否決! |
投稿者: 名無しさん 投稿日時: 2015/1/12 17:14 1943年二月 ユダヤ人と結婚していた何百人ものドイツ人女性が武器を持たずに 取った行動は、非暴力の手段そのものだった。 ベルリンのローゼンシュトラッセで、女性たちは機関銃を構えたゲシュタポと向かい合い、投獄された夫の釈放を求めていた。 ローゼンシュトラッセ2-4にあるユダヤ人コミュニティセンターの外は凍えるような寒さだった。 何とかして夫の消息を知りたいと集まった女性たちに混じり、 シャルロッテ・イスラエルもそこにいた。 最後に連行された工場で働いていたほかの数百のユダヤ人と共に、 夫のユリウス・イスラエルが警察に拘束されて以来、彼女は毎日そこへ来ていた。 彼女はその日のことを、こう語った。 「警告もなしに、警備隊は機関銃を配置し始めました。 みなに機関銃の先を向けると、大きな声でこう言いました。 『直ちに退去しなければ、撃つぞ』 私たちは後ろに大きく引き下がりました。 でも、次の瞬間、私たちは初めて心から叫びました。 もう、私たちはどうなってもかまわなかったのです。 いずれにせよ、彼らは撃つつもりなのですから。 だから、私たちも大声を上げて叫ぼうと思ったのです。 私たちは叫びました。『人殺し、人殺し、人殺し』」 シャルロッテ・イスラエルのような女性たちには中心となる組織こそなかったが、生命を懸ける深い動機があった。 だからこそローゼン・シュトラッセの女性たちの抗議は功を奏したのだと、歴史学者のネイサン・シュトルツフスは、この事件についての最近の著書で述べている。 「私たちは心から行動していました。だからあんなことが起こったのです。」 もう一人の女性、エリザ・ホルツァーは、夫ルディの拘束に抗議してからほぼ半世紀後にシュトルツフスにそう語った。 最終的に女性たちの勇気と熱意が圧倒した。 ベルリンの数千ものユダヤ人が家畜運搬車に詰め込まれアウシュビッツに運ばれていったが、ローゼンシュトラッセに拘束されていた1700人のユダヤ人は釈放されたのだ。 |