Re: 玉置公良に告ぐ。 |
投稿者: 名無しさん 投稿日時: 2016/3/6 22:08 「玉置公良」という政治家の生き方 1、世界をみてくると人間大きくかわる 約30カ国を訪問、世界遺産をはじめ環境関係を中心にまわる。 2、人間たった一度の人生、政治の道にかけよう! 両親の死 17歳のときに父親が、33歳のときに母親が無くなり、お袋の49日の法要のあと出馬要請が来た。 政治は、みんなの夢を実現できる一番の近道と考えた。 3、地盤、看板、カバンのないものでも、学歴がないものでも政治家になれる時代を実現したい! 私のようなごく普通の人間が政治家になれる。 それでこそ国民目線で行う政治が実現でき、政治を官僚の手から庶民の手に取り戻せる。 そう考えた。 私は和歌山県立田辺高校を卒業して、体育の先生を夢見て、体育大学進学を目指していたが、 運命によって断念。諦めきれずに大学の通信制にはいったが、一年で挫折した男である。 かたや、私の高校の同級生で東大を出て、官僚トップである財務省の事務次官 真砂靖君が いるのも不思議なご縁である。 1990年の初めての衆院選に挑戦(次点)、県議4期(14年)無所属で政党の推薦を受けず戦ってきた。 2009年衆院選は選挙区に民主党の地方議員は0だった。 4、全てを捨てて、退路を断って、選挙戦に挑む生き方を実践してきた! 最初の衆院選(1990年)は、役所を夫婦で辞めて退路を断ち戦う。 県議選へは、後継候補としてみとめてもらえず無所属で立候補を決意。 半世紀というもの地盤(二世と政党の後継者)のない者が当選していなかった。その後4期(14年)は 政党の推薦をもらわずに戦ってきた。 衆院選(2009年)は、後援会をはじめ猛反対の中で県議を捨て、全国有数の強い選挙区に挑戦。 熊野で悟りをうけて全国の人を助けにまわった一遍上人(約750年前)は、 全てをすててこそ、民衆を助けることが出来る」ということを実践した。 2009年の出馬の決意はここから動かされた。 今回の衆院選には自分に正直に、自分の信念を貫く為に出馬を断念。 5、今、何が大事か、何を優先してやるべきかを第一に考え、周りに流されず、敵を作っても堂々と国のために理屈より結果を出すために命を尽くす生き方をしてきた! 一昨年の原発事故による20km圏内で動物の命を救う扉を開いた。 6、どの政党に属しているかという価値より、議員一人一人の資質と能力が問われることを、 いつも肝に銘じて実践してきた。 時代の先を読み解く洞察力と実行に移す行動力のある政治家を目指してきた。 従来型の議員の発想と領域を超えた発想が出来る政治家、無から有を生む発送の政治家を 目指してきた。特定の利益の為に働くのではなく、社会全体の為に働く政治家でありたい。 7、18年間環境問題に取り組み実践してきた! 衆議院議員・たまき公良 長年環境問題を実践してきた。(18年間) ・日本をはじめ 世界13カ国の問題を激突取材・研究(現場第一) ・18年間、不思議な人との出会い ・勉強とは二人でするもの ・15年間、熊野古道を世界遺産に→国会へ http://kimiyoshi-tamaki.jp/p_belief.asp たまき公良公式ホームページより 元国会議員の出馬とあって、一部地元民の話題になっているが、 これまでの活動について、良い意味でも悪い意味でも 間違いなく言えるのは、知名度が高い。 |