Re: 中世山城跡@有田川 |
投稿者: 名無しさん 投稿日時: 2024/1/25 17:04 戦国時代初期、紀伊の領国統治を始めた大名・畠山卜山(尚順)には数人の息子がいた その畠山兄弟の内、長兄の稙長は広川町の広城に拠ったが、 次男の長経は有田川町の鳥屋城に拠り、別名の石垣城から「畠山石垣家」を名乗ってた (石垣は現在でも郵便局の名称に名残を留めている) 三男は和泉、四男は播磨へ、そして末弟の畠山政国は有田市宮原の岩室城に拠り「畠山宮原家」を名乗ってた (宮原は今、JRの駅名として大きく残っている) 政国は子の高政にそこを託して死去、孫の貞政が死守を図るも豊臣の紀州征伐には風前の灯として消え去った運命 後年、徳川頼宣の領内巡察で入念されて昔日の栄光と化した |