Re: 世界遺産特別展 |
投稿者: 名無しさん 投稿日時: 2024/12/30 18:40 @熊野神宝展 三山の神像等は過去に何度も見かけ目新しさはなかった一方、北朝の後円融院が速玉大社に奉納したという国宝の太刀は初陳列で一見の価値。時に明徳3年の南北朝和約寸前の遺産、想像力を掻き立てる逸品であった。 というのも、南山に位置する紀伊は後醍醐帝の子・護良親王の活動以来、半世紀近く吉野の南朝贔屓が鉄板。おそらくこれは京の朝廷(実質は室町幕府)の切り崩しが以前から盛んに行われていた証左に違いない。この後には将軍の足利義満(=後円融とは従兄弟どうし)も勝ち誇ったかのように熊野新宮に神宝を奉納している。(義満は平定した紀北を高野山から和歌浦まで悠々と遊覧旅行し、紀州人民に武威を示した) しかし「元中(9年の)一統」と称した南朝にとってこの和約は結局、約束反故の欺瞞に終わったため配下の楠木氏残党など皇胤を擁した後南朝勢力が奥熊野に残存していった秘史が伝わることになる。次の将軍足利義持からそれらの掃討を命令されたのは紀伊の守護大名畠山満家と持国の父子だが、この辺の歴史はなかなか取り上げられる事がなく、紀州は御当地でありながら具体的にこの時代を認識、概観できないのは毎度ながら残念な限り。 (後世 江戸期に徳川頼宣や宗直ら歴代藩侯が熊野を巡察、皇胤を調べに行った可能性もあるが真相不明) 県立博物館内の年表、南北朝〜室町時代の欄は政治軍事記述がほぼ空白で、いつ見ても寂しく物足りない。戦国乱世の幕を開けた梟雄・畠山義就(=持国の子)も紀伊ゆかりの武人なのだし、この系譜の活用法はいくらでもあろう。 いい加減、節穴っぽい盲目は絶ち切り、和歌山県にはもっと広範な視点を持って歴カツしてほしいものである。。。 |