| Re: 特別展「紀伊徳川家の威風」 |
投稿者: 名無しさん 投稿日時: 2025/10/26 15:50 展示のみどころ 紀伊徳川家のはじまり 〜なぜ御三家が和歌山に?〜 重要文化財 南蛮胴具足 紀州東照宮蔵 紀伊徳川家の初代は、徳川頼宣です。これまでは徳川家康の跡を継いだ江戸幕府2代将軍の秀忠(ひでただ)が、家康に寵愛された弟の頼宣を和歌山の地へ追いやったという説が有力でした。今回の特別展では、当時の幕府の軍事的な戦略を踏まえて、御三家が和歌山に置かれた理由を考えます。 偉大なる父母 〜徳川頼宣の父母と紀伊徳川家との絆〜 子安鬼子母神立像 本遠寺蔵 徳川頼宣の父は徳川家康、母はお万の方(養珠院)です。家康は江戸幕府を開いた武将として有名ですが、母もまた個性的な人物で、当時女人禁制であった七面山(しちめんざん)(山梨県)に初めて登った女性として知られています。この章では、家康を祀る紀州東照宮(きしゅうとうしょうぐう)とお万の方の菩提寺である本遠寺(ほんのんじ)(山梨県南巨摩郡身延町)所蔵の資料から、2人と紀伊徳川家の繋がりを紹介します。 紀伊徳川家のみやび 〜歴代藩主の作品やコレクションの数々〜 青磁葵紋火鉢 養翠園蔵 紀伊徳川家歴代の当主は武士ですが、武芸のみならず、教養人として学問に励み、書画を揮毫し、漢詩や和歌を詠み、茶道や陶芸にも精通していました。この章では、彼らの作品や収集したコレクションなどを展示し、江戸時代の大名の華麗な生活や教養について紹介します。 田辺領主の安藤家 〜紀伊藩ナンバー2ゆかりの品々〜 陣羽織 安藤直次所用 鹿島神社蔵 紀伊徳川家と比べるとあまり知られていませんが、田辺城の城主で、紀伊藩で藩主やその一族に次ぐ地位を誇ったのが安藤(あんどう)家です。初代当主の安藤直次(なおつぐ)は、徳川頼宣を傅役(もりやく)(今で言う教育係)として支え、明治時代には藤巌神社(とうがんじんじゃ)(田辺市)に祀られています。 聖地和歌の浦 〜今年は南龍(なんりゅう)神社創建150年〜 八幡神立像 紀州東照宮蔵 徳川頼宣が父母を祀った和歌の浦は、風光明媚な名所として知られています。明治維新で紀伊徳川家の支配は終焉しますが、紀伊徳川家を慕う旧藩士たちが奔走して、今から150年前の明治8年(1875)この地に頼宣を祀る南龍神社が創建されました。 |
