Re: 羊羹の駿河屋、民事再生手続きを断念し、事業停止 |
投稿者: 名無しさん 投稿日時: 2014/7/8 0:18:16 老舗和菓子メーカー「駿河屋」波乱まみれの倒産 スポンサー候補浮上も決裂 室町時代中期の寛正(かんしょう)2(1461)年の創業で、江戸時代には紀州徳川家御用達だった和菓子メーカー「駿河屋」(和歌山市)が5月、民事再生法に基づく再建を断念し、事業を停止した。練羊羹発祥の店との説もある老舗で、グリコ・森永事件で脅迫状を送りつけられた企業の一つだった。駿河屋の和菓子は、味わうことのできない記録と記憶だけの歴史になろうとしている。 「お客様には長らくのご愛顧を賜り、ありがとうございました」。和歌山市駿河町の本店「駿河町本舗」はカーテンが下ろされ、張り紙だけが寂しく残っていた。 創業550年余りだが企業として設立されたのは1944年。製法を確立したともいわれる練羊羹や焼饅頭などが親しまれ、61年には東証・大証2部に上場した。ピーク時の92年の売上高は60億2500万円に上った。 ただ、会社設立後の歴史は波瀾万丈だった。85年には、グリコ・森永事件の犯人グループから「グリコや森永のような目に遭いたくなかったら5000万をだせ」と脅迫文を送られたことでも知られる。 その後、上場基準を維持するための架空増資事件で2004年に当時の社長らが逮捕されると、05年に上場廃止となって信用が失墜。今年1月には民事再生法を申請した。 それでも再生は可能との見方があった。事業再建のためのスポンサー候補会社として、創業400年近くを誇る老舗「千鳥屋宗家」(兵庫県西宮市)が浮上。事業譲渡の交渉を進めてきたが、決裂。5月29日にすべての事業を停止、全社員が解雇された。 東京商工リサーチ和歌山支店の田端健二課長は「店舗展開が旧来型で、全国チェーン店などの進出による競争に勝てなかった」と分析。新商品の開発も、製造ラインを入れ替えてまで大胆に進めることはなかったとの見方もあり、「じり貧状態でぎりぎりまで頑張ったのだろうが、もっと早く民事再生の手続きをしていれば、名前は守れたのではないか」と指摘する。 前身は「鶴屋」として初代、岡本善右衛門が室町時代に開いたと伝わる駿河屋。5代目のころに京都・伏見の桃山城正門前に店を構え、和歌山に移ったのは江戸時代初めの元和5(1619)年。紀州藩の初代藩主の徳川頼宣とともに和歌山入りし「御用菓子屋」として栄華を極めた。 5代将軍、綱吉の長女、鶴姫が紀州徳川家に嫁ぐ際、姫と同じ名前では畏れ多いとして「駿河屋」となった。江戸が発祥ともいわれる練羊羹は、西日本では駿河屋との説が根強い。 和歌山地裁は6月25日、経営再建は困難として破産手続き開始を決定。元従業員らでつくる駿河屋労働組合は翌26日、資産を切り売りしないことなどを求めて市民ら1万2294人分の署名を同地裁に提出した。組合代理人の豊田泰史弁護士は、和歌山市内の企業の支援を得て組合で資産を購入する考えも示していたが、断念した。 2014.07.07 http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140707/dms1407071208005-n1.htm |