Re: 広川が紀州和歌山の中心だった時代 |
投稿者: 紀伊守 投稿日時: 2022/9/3 15:07:56 畠山二郎高政は猛将と称された武人、年齢的に武田信玄と上杉謙信の中間の世代にあたる戦国バリバリのサムライ 根来衆を動員して大和へ乱入、合戦したり、和泉で三好軍を破り城を奪回するなどの武勇伝もあり、上洛した織田信長から一目置かれ、将軍足利義昭の幕府下にも一時期参画、河内紀伊の本領安堵を勝ち取った巧者 院号は畠山一空と名乗ったが、晩年はキリシタンになったとも伝わる 和歌山県民にはすっとこ知られていないが、「紀州の戦国大名」だったと呼んでよい人物(→御屋形様と書かれた資料がはっきり残っている) 県や市がよくいう「紀州に大名はいなかった」表現は完全な語弊、低水準に配慮した誤り 有田市の岩室山こそが彼の最後の居城だった こんな有力な地元ゆかりの名門大名を等閑視するのは勿体ない極み、愚の骨頂というほかない |