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なんでこんな県政になったのか 検証(上)

投稿者: 和ネット 投稿日時: 2006/11/28 2:31:43

 和ネット掲示板・政経時事川柳「特捜さん あんたがほんまの 改革派」―。和歌山県の官製談合に絡む木村良樹知事を辞職に追い込み,不正まみれの県政を浄化したのは、県議会でも県民でもなく大阪地検特捜部の力だった。県民の自浄努力と失地回復のチャンスとなる出直し知事選は12月17日に投票が行われる。自民党推薦の元経済産業省官僚の仁坂吉伸氏(56)と、共産党推薦の市民団体代表泉敏孝氏(69)が立候補する。今後4年間の県政の担い手を託す知事選は,現在、予想される強・弱の2者択一しかない。民主党県連常任役幹事会は、串本町議の建設業清水和子氏(60)の擁立を巡り「勝てる候補」をとする賛否で紛糾。結局、党内の内紛を表面化させただけで、「不戦敗・自主投票」とし、清水氏も断念した。折角の選挙の選択肢がせばめられ、県民の不満は充満している。
取材メモを掘り起こし、6年前にタイムスリップさせた。木村知事誕生の密室性なども含め、なぜこんな県政になったのか。反省を込め、連載・検証する。(和ネット企画代表牧野輝夫    以下・敬称略)
 
◆落下傘・・・中央政権が木村を選び、対抗馬に引導・・・
 西口勇知事の病気引退に伴う知事選は、2000年8月。自治省出身で、県総務部長を務めたことがある大阪府筆頭副知事の木村良樹が立候補した。これまで和歌山県知事は、県職員出身の仮谷志良と、仮谷県政を引き継いだ西口が、それぞれ出納長、副知事を務めた後、知事になった。副知事は、知事への登竜門とも言われた。
 西口県政当時の副知事高瀬芳彦(故人)が立候補を模索したが、すでに県議の無所属大江康弘と、共産推薦の中津孝司が早々と立候補声明を出して、選挙活動をしていた。このため、高瀬が大江との一本化を調整のため、大江を和歌山市内の料亭に招き、自身の出馬を明らかにして、出馬を断念するよう迫った。大江は、事前に高瀬に立候補を勧めたが、高瀬が逡巡したため、知事選に名乗りを上げていた。大江は「後戻りできない」と断った。その席に大阪府の元筆頭副知事木村が、明日出馬記者会見するとのニュースが携帯電話で飛び込んだ。大江は勢い込み「高瀬さん。あんたか生き残るには、ぼくへの応援しかない。知事が交代しては、あんたは、副知事を続けられないよ」と、逆一本化を迫った。高瀬、大江の料亭会談は決裂した。7月27日夜。その席には、仲介役の元和歌山市助役の吉井清純(元県商工労働部長)が同席していた。吉井は県庁では、高瀬の弟分と言われていた。
 翌日の28日夜、大阪府副知事木村良樹は和歌山市内のホテルで記者会見し、知事選への出馬声明をした。木村を和歌山に呼んできたのは、県出身の連立3与党6国会議員とされている。木村の両脇には、元運輸大臣の二階俊博(当時保守党)と、岸本光造代議士(自民党・故人)。自民の谷本龍哉、公明の西博義代議士、自民の世耕弘成、保守の鶴保庸介参議院議員の計6人が顔をそろえ、世耕が司会役を務めた。記者から「木村さんを擁立する経緯が不明で、県民にわかりにくい」と質問があったが、大半は政策的な件に終始した。
後に岸本に聞いたところ、ポスト西口として、早くから二階周辺が騒ぎ、これに対抗して岸本も「二階が出るならおれも出る」と意欲を示したため、双方が妥協点として木村擁立に傾いた経緯があると述べた。しかし、その背景は、かなり複雑だった。
・・・県事業推進の念書たてに 出馬辞退に追い込む・・・
 西口知事は病気で辞任しており、副知事の高瀬は、知事代行でもあった。
大江との一本化を断念したまま、知事選へと始動した。高瀬は、木村の出馬会見の翌日、粉河祭り見物を名目に、那賀郡内6町長と、前年の統一選で初当選した本宮町など4町長で組織する一期会のメンバー計10町村長と席を共にした。席上、高瀬は知事選出馬への胸の内を明かし、8月1日に出馬記者会見をした。高瀬は、木村担ぎ出しの密室性を激しく指弾し闘志をむき出した。
知事選は、高瀬と、自民、保守、公明3与党推薦の木村、独自に戦う大江、共産推薦の中津による4人と争いとなる予定だったが、高瀬は4日後に突然、出馬辞退の記者会見をした。高瀬は出馬声明の前日、地元国会議員の求めで上京したが、そこで5枚分の書面「ご要望に対する回答」を手渡された。西口知事が病気辞任直前まで懸案としていた県重要事業に対する連立3与党の自民野中広務、公明冬柴鉄三、保守野田毅各幹事長と、県選出の岸本、西、二階の3代議士署名による「世界遺産」「梅枯れ対策」「高速道路の整備」の3つを柱とする10項目の実現に尽力するとの念書だった。
 二階代議士が持ち回りで3党幹事長らに署名を取ったとされる。
 内容は、「この度、和歌山県のご協力のもと、県議会、市長会、町村会をはじめ、各種の有力団体のお力添えをお願いしながら、知事選に向けて一層のご協力をお願いいたすものであります」(原文のまま)。念書には、立会人として県町村会長の南部町長山崎繁雄(故人)、自民党県連幹事長平越孝一の署名もあった。
 この念書は知事選に意欲を燃やす高瀬に対して、中央政権が県事業推進の保証を見返りとして、翻意を促す狙いがあるが、高瀬は深く考えていなかった。高瀬は、山崎や平越らとともに、地元国会議員に案内され、官邸の森喜朗首相とも会ったが、森は「よかった。よかった。協力ありがとう」と高瀬と握手を交わした(山崎の話)。
 南部町長の山崎は、高瀬が念書を手にした翌日、出馬会見したことに「念書は、県事業の推進のための友好的な内容。高瀬さんが中央政権に歯向かって出馬することで3党幹事長の怒りが想像できる」と頭を抱えた。
 一方の高瀬は、選挙のあいさつ回りに忙殺されたが、知事代理の立場から、出馬記者会見の翌日、県主催で、東京で行われた高速道事業などの国予算陳情を推進する県道路大会に地元国会議員と一緒に出席しているが、大会後、一時姿を消した。県庁で「中央政権に拉致され、油を絞られた」とのうわさが出た。翌日、高瀬は憔悴した顔で県庁に戻り、直ちに、出馬辞退記者会見をした。高瀬がなぜ、選挙にでないのか。誰にも想像はつく。
辞退記者会見には、高瀬と親しい自民党参院会長村上正邦が立ち会った。記者から「知事選辞退は念書と関係があるのか」と質問が出たが、村上は「そんな念書などない」と語気を強めた。
高瀬は、記者会見後、県庁内をあいさつ回りし、県庁を去った。職員から「おいやん」として敬愛されていた。県職組の推薦も受けていた。あっけない高瀬の退陣に涙を流す職員も見られた。
・・・県民軽視の木村知事・・・
 落下傘候補の木村は、大阪府の筆頭副知事として、横山ノック知事を補佐していた。
 横山がセクハラ事件で辞職に追い込まれたため、木村本人は大阪府知事選に出る腹つもりでいたようだ。ところが連立与党は、横山の不祥事による府政建て直しの目玉として女性の通産官僚太田房江を担ぎ出した。
 はじきだされた木村の落ち着き先が、和歌山県だったと言える。連立与党の後押しで木村は全国で最年少の48歳で知事に就いた。木村は、和歌山をどうみていたのか。こんな話しを代議士の谷本龍哉から聞いた。 木村は04年2月、世界遺産のスペイン・サンテイアゴ巡礼の道を視察している。この時、香川1区選出の自民党代議士平井卓也が木村と顔を合わせた。初対面で、平井は「和歌山の木村さんですね」と呼び止めた。2人の雑談の中で、木村は「和歌山の知事になるつもりはなかったが、残念だが仕方がありませんよ」−。平井は知事らしからぬ木村の言葉に仰天した。義憤に駆られた平井は、席を離れ、谷本の携帯電話に話しの顛末を伝えた。平井と谷本は、衆議院の同期で親しかった。
木村の知事再選を巡り、県議会の過半数占める自民党県議団が「議会との対話不足」などを理由に推薦に難色を示し、党県連代表役員会は、数回にわたり、時には徹夜で推薦の是非を協議した。
役員会の求めで木村が上京した際、谷本はスペインでの県民侮辱発言を厳しく追及した。さらに大阪の建設業界紙に木村と談合のフィクサー井山義一との関係や、談合疑惑なども国会議員から質された。木村は、県民侮辱の気持ちはさらさらないが、誤解を招く言動があったことを詫びた。しかし、井山と談合関係などはないと、キッパリ否定した。木村を擁護する世耕弘成のとりなしもあり、結局は、木村の推薦が決まった。谷本は今、木村を推薦したことを悔やんでいる。


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