紀州の歴史 |
投稿者: 歴オタ 投稿日時: 2024/10/4 20:12:28 かつて紀伊の国の中世史に確実に関係していた、清和源氏名門の武家・畠山 京都においては足利将軍家に次ぐNo.2、三管領の家柄 それは室町時代240年中200年以上の時間、近畿南部を守護する統領として力強く存在していた ただ僅か最後の30年余りにおいて力を失い有名無実となり、紀伊においては家臣国人衆らの勢威に取って変わられ、みなが知ってる戦国時代後半の主役の座を譲る形となってしまい、目立たなくなった・・・というのが真実 その結果、畠山家は「は」の字も語られることなく無活用、歯牙にもかけない存在に貶められ、完全ゼロ扱いへ。あれほど、これほど豊富なエピソード、痕跡が県内(特に有田郡)に残存してるにも拘らず、である 「難解なもの、人気がないものは完全無視」by和歌山県 なんと浅学な意識、浅慮な選択であろうか まことに口惜しく、残念という他に言葉はない… ![]() |