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13番の記事
Re: 岸本健県議の1人会派「清新クラブ」の由来

投稿者: 和ネット 投稿日時: 2007/5/9 21:10:23

元代議士で県議会の新人岸本健(紀の川市)が1人会派の「清新クラブ」を立ち上げた。岸本の父で故・光造(自民党代議士・党県連会長)が県議に初当選の1971年4月、岸本、二階俊博(御坊市)、門三佐博(伊都郡)、馬頭哲弥(田辺市)ら10人の新人、2期議員で結成されたのが「清新クラブ」だった。健が自民党への入党を断られ、1人会派を結成するとき、とっさに父の初陣を思い浮かべ「清新クラブ」名を借用したのだという。かつての清新クラブは、国政で活躍する二階、岸本の政界のスタート地点でもあった。門三佐博の自伝「日本よ凛としてあれ 故郷よ熱く燃えよ」によると、清新クラブにはせ参じたのは、他に富田豊(和歌山市)、西本長浩、竹中俊雄(いずれも有田郡)、山形繁男(西牟婁郡)らだった。有志議員が新和歌浦の料亭「石泉閣」に宿泊した。一同は、自民の長老会派「和政会」(妙中正一ら14人)、県政同志会(前田増一ら9人)に対抗しょうと意気盛ん。全員が朝食の時、床の間に「清新」と書かれた掛け軸があり、二階が新会派の名にふさわしい」と提案し命名されたのが名の由来だという。健は父の急死で跡目を継ごうと決意。自民党の公認を得られず、同公認の石田眞敏と戦い敗れ比例区で当選し、一時、民主にも席を置いた。自民・石田との敵対行為が原因で、今回、自民党への入党が適わなかった。光造は、生前、自民党県連会長として、参議院、統一選などで、常々、党の結束を訴えていた。皮肉にも、長男健が公認争いで自民同士が争う羽目に。光造の党県連葬も行われず、健の入党も適わなかった。健は、果たして父の「故里・自民党」に戻れるかどうか。(敬称略)



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