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77番の記事
【可視化】≒【人身御供】法提案放棄!?透視鏡監督官御茶濁し茶番劇一件落着大岡裁き!?

投稿者: 名無しさん 投稿日時: 2010/5/6 6:58:41

【可視化】≒【人身御供】法提案放棄!?透視鏡監督官御茶濁し茶番劇一件落着大岡裁き!?


ひとみ‐ごくう【人身御▽供】1 人間を神への生け贄(にえ)とすること。また、その人間。人身供犠(じんしんくぎ)。
2 集団または特定の個人の利益のために、ある個人を犠牲にすること。また、その個人。

:【狡猾拝金官僚側にお味方すれば楽な道!』⇔【納税家畜愚民側お味方⇒最初から不利!】

【大和魂】 - Wikipedia 吉田松陰; 【かくすれば かくなるものと 知りながら  やむにやまれぬ 大和魂】 

 ;【 身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし大和魂】


 ≒【アテルイ!東北人の長⇒坂上田村麻呂吉⇒騙し打ち!トホホ!

引用:::律令国家となった日本は「柵」(さく)という前線基地をつくって、蝦夷の開墾(かいこん)を進める戦略をとった。蝦夷の人々は捕らえられ、強制的に働かされた。当然、これは許せない、と東北各地で反乱が続発したんだ。セイゴオ先生がいったように、視野が大きかった藤原仲麻呂は、多賀城を拠点に本格的な蝦夷の支配に乗りだした。しかし、仲麻呂は失脚、蝦夷の反乱は拡大していくんだな。

さあ、そこで登場したのが桓武天皇だ。中国風の政治を目指した桓武天皇は、即位後、早速、蝦夷の制圧を政策にかかげた。中国の皇帝は「夷狄(いてき=外辺の異民族)を治めて、王化をほどこす(中国文明になじませる)」を使命としていたからね。789年、紀古佐美(きのこさみ)を将軍として、歩兵2万6000人の大軍を送った。ところが、蝦夷にアテルイという英雄があらわれたんだ。

アテルイは蝦夷の族長たちをまとめ、北上川(岩手県)の支流、衣川での戦いで、わずか1500人ほどの軍勢ながら、桓武天皇の派遣軍を破った。その3年後、今度は坂上田村麻呂が副将を務める10万人以上もの第2次蝦夷制圧軍がやってきた。しかし、アテルイたちはこれもはねかえして、北上川から北の独立を守ったんだな。

これでは桓武天皇のメンツが立たない。坂上田村麻呂は新たな征夷大将軍の位を与えられ、801年からの第3次蝦夷制圧を指揮することになった。でも田村麻呂は、兵力で押しても蝦夷はぜったい平定されない、と考えたんだな。そこで蝦夷の文化と自立性を認め、蝦夷の族長に対する懐柔工作を展開した。これによってアテルイの連合組織は分断され、弱体化してしまったわけだ。翌802年、アテルイは盟友のモレとともに田村麻呂に降服した。

田村麻呂は【アテルイ】とモレの生命を保証し、桓武天皇に拝謁させるために平安京に上らせた。ところが、二人を無事に蝦夷に戻すという田村麻呂の願いは、朝廷によって簡単に裏切られ、803年8月、二人は河内国椙山(すぎやま=現大阪府枚方市)で処刑されてしまったんだ。悲しい話だけど、2度にわたる軍隊の敗退で、いかに都の官吏たちが蝦夷の戦士を恐れていたかも伝わってくるんだな。

【小沢一郎】本籍地は岩手県奥州市水沢区(旧水沢市)。3歳から14歳まで郷里の水沢で育った。


Re: 小沢一郎はどうなる? 引用:::

  内閣官房副長官・漆間巌の正体と役割を読み解く。

「自民党には捜査は及びません。」と東京地検特捜部の捜査の進展状況を某「政府高官」氏が、自信を持って断言したために、「小沢民主党党首秘書逮捕事件」の風向きが逆転してしまったのではないかと思わせるほどの激震が永田町周辺を駆け巡っているわけだが、その「失言」をしてしまった「政府高官」氏とは、言うまでもなく内閣官房副長官・漆間巌であるらしいが、漆間巌という人物の正体は、意外に知られていないのではなかろうか。内閣官房副長官とは、かつては田中内閣の後藤田正晴や、小泉内閣の石原信雄、古川貞二郎各氏等が勤めた、官邸と官僚を結びつける官僚事務方のトップという重要な役職だが、麻生内閣の内閣官房副長官・漆間巌氏の存在は、東京地検特捜部が、派手なラクダのコートを靡かせるという、きわめて田舎芝居がかったイデタチで開始した今回の「大捜査線」に対する「失言」でクローズアップされるまで、ほとんど注目されることはなかったと言っていい。しかし、今回の「小沢民主党党首秘書逮捕事件」を解く鍵を握っているキーパーソンの一人が、つまりこの事件の物語の筋書きを書いた作者の一人が、どうやら、ここへ来て、この麻生内閣の内閣官房副長官・漆間巌氏であるらしいことが明らかになってきた。東シナ海の不審船問題の処理等で、当時、警察庁警備局長だった漆間巌に最初に注目し、密かに接触した上で、意気投合した政治家が安倍晋三元首相(当時官房副長官)である。北朝鮮、朝鮮総連関係に詳しい漆間巌は、以後、安倍晋三元首相の権力を後ろ盾に出世していくわけだが、安倍政権時代は警察庁長官を勤め、安倍晋三元首相と親しい麻生政権になって、「内閣官房副長官」に抜擢されたというわけだ。では、麻生政権における漆間巌の役割は何か。それは、彼が警察官僚出身であり、警察や検察に強い影響力を持つ元警察庁長官であるということと切り離せない。元来は、「内閣官房副長官」としての漆間巌氏の役割は、官僚の天下りや渡り等をめぐる公務員制度改革にあるはずなのだが、彼は公務員制度改革には不熱心で、たとえばテレビにまで出演して吼えまくる人事院総裁の反撃を押さえ、説得する立場のはずだが、逆に漆間巌は、むしろ公務員制度改革を妨害する存在らしい。では、麻生首相は、何故、漆間巌を切らないのか。それは、おそらく、麻生首相が、漆間巌氏に期待する役割が別にあがるからだろう。その役割こそ、警察や検察と組んで、何かを試みることだ。それが、今回、最後の詰めに失敗したとはいえ、めでたく実現したというわけだが、はたしてどうなのだろうか。僕の独断と偏見に基づいて、すばり、断言するならば、今回の「小沢民主党党首秘書逮捕事件」を企画立案し、麻生首相の了解の下に、東京地検特捜部を動かし、密かに指揮したのは「漆間巌」である。漆間巌氏が、「自民党には捜査は及びません。」と言ったとすれば、それはあまりにも正直に、自ら仕組んだ「国策捜査」の実体を暴露したものと言うべきだろう。というわけで、「漆間巌」を麻生首相に紹介し、推薦したのは安倍晋三元首相であることは間違いないが、さすがに安倍晋三元首相と言えども、東京地検特捜部を使った「国策捜査」によって政敵をつぶし、政権を維持するなどというような「悪の政治学」に手を染めるようなことまではしなかったが、おそらく「かんぽの宿疑惑」をめぐって「麻生降ろし」を画策する小泉元首相一派と、瀬戸際で「手打ち」した瞬間に、麻生首相もまた、小泉政権時代の「悪の政治学」の誘惑に呑み込まれたのだろう。麻生首相が、歴史に名を残すとすれば、おそらく小泉純一郎元首相と同様に、どのようなダーティな政治家でさえも、さすがにその一線だけは踏み越えなかったところの、いわゆる「国策捜査による政敵潰し」という「悪の政治学」に手を汚した政治家としてだろう。能力も人望もない卑小な政治家が国家のトップに立つと、いつでもこういうことになるということを、われわれ国民は知るべきである。麻生官邸には、他にも「警察官僚上がり」の怪しい人物が何人かいるらしいが、いつのまにか日本と言う国は、戦前の「治安維持法・国家」をも上回るような、言い換えればヒットラーやスターリンもびっくりするような、恐るべき「警察国家」「検察国家」「謀略国家」になってしまったものである。東京地検特捜部などという「国家の暴力装置」に依存しなければ、政権の維持もできなければ、また、たとえば内閣支持率が最底辺まで下落したような場合に、自らの判断で潔く「身を退く」ことも出来ないような、そういう卑小な政治家と、「正義」を勘違いして、つまり敵と味方を取り違えて、国民を敵視し、弾圧する「警察・検察という暴力装置」軍団を、われわれ国民の手で追放し、解体すべきだろう。


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