和ネット検索


ニュースヘッドライン

県内関係掲示板
2ちゃんねる関係スレッド一覧
2ちゃんねる・2ちゃんねる(SC)
Yahoo和歌山掲示板
トピック一覧(全般・行政)
Yahoo株式掲示板
県内本社所在地企業

東証1部上場
東証2部・JASDAQ上場
主要事業所県内所在企業
公益上場企業
一般上場企業
その他県内対象掲示板
まちBBS・爆サイ.com等スレッド・他掲示板リンク一覧










36番の記事
「カンナ草」:募集:お願い:何方か里親⇒無料奉仕で育てて頂ければ幸いです!

投稿者: 名無しさん 投稿日時: 2012/2/20 19:36:05

Re: 自らもどちらに投票したかったのか⇒「不⇒旗幟鮮明」⇒敵を作ら 無いより ⇔味方を作って欲しかった残念!

「カンナ草」:募集:お願い:何方か里親⇒無料奉仕で育てて頂ければ幸いです!
2012年02月20日 | どうよ!?:本日 以前和歌山県河川課に、願いしていた

:大門川(和歌山県立体育館東側川岸 自生「カンナ草」

:球根を無事終約束通り頂けました!(草木をゴミ扱い嘆かわしい中!)

:心有る優秀な行政マンの御陰様!手間暇⇒感謝!

:募集:お願い:何方か⇒カンナ草 ⇒里親⇒無料奉仕で育てて頂ければ幸いです!

:河川改修工事による廃棄処分(水道道紀陽銀行より西側セメント化)

:大門川出水橋南側川岸もセメントから⇒土を上に覆う工事にて犬と人間が!

:川岸散歩を楽しめる!自然を感じられる川岸その対岸には菜種が!

:桜と同時に咲き乱れ青空・ピンクの花びら⇒黒い川底に散り落ちた花弁が風流に流れる

:川野水面にはグレーの鮒や鯉!?泳ぐ最高のロケーション!

:何度も記すがゆないてっおレントオールでゴムボート借りて浮かべ様したが!

:川底が浅く不法投棄で何が突き刺さるか危険な状態で断念(御手洗池も土手が高くて降りれば這い上がれ無いかもと結局車から一度も下ろさずトホホ)

:箱物行政の欠陥!自然と親しめるワンランク上の工夫が有れば土建行政も評判良くなる!

:行政相手だから建設業者も⇒不必要な予算使い⇒タイダ・怠惰な仕事ぶりと感じるのは私だけだろうか!?感受性が敏感だったら野外の仕事に耐えられ無いのも理解する!

だから設計者がクリエイティブなワンランク上の価値を想像出来て無いという証明!

:何時も思い出すのが和歌山県立美術館水まわりも止め⇒バカ長大の軒先とに比した!

:吉宗鋼の騎馬像!創作意図お聞きしたい!⇒大きな★白い球体を置いた!⇒他府県に比べ貧弱過ぎる情け無い⇒県民意識正比例の現れか!?

:戦前ならば金属供出の対象としても小さい!

余談:年金「世代間不公平」と昨日の岸本周平タウンミーティングでも発言が有ったが!

:私は戦争体験者に対し申し訳無いと感じる!子沢山な世代⇒戦争に次ぐ戦争⇒★戦費を負担支払った世代!

:平和な世代!「楽あれ苦あり」⇒金銭的な⇒年金の不公平なんぞは⇒命の危機を感じた世代に対して ⇔我慢辛抱すべきと感じる!

:焼夷弾降り注ぐ中を生きた【火垂るの墓】の兄妹は★餓死!現代の人間が不公平なんぞ言えるのかと!認識⇒思いやり不足!

耐え難きを耐え忍び難きをと玉音放送を聞かれたことが無いお間抜け世代の思いやり知らずと感じる!

然れとも朕は★【時運の趨く所】(★堪へ難きを堪へ忍ひ難きを忍ひ以て万世の爲に太平を開かむと欲す

終戦の詔勅刪修について
安岡正篤記念館名誉館長・林 繁之(月刊『致知』1984年3月号より)
★【義命】の存するところ「義命」については詔勅の中で、陛下が「堪へ難きを堪へ」よ、とおおせられておられる宸襟を拝察して、それにふさわしい天子としての重いお言葉がなくてはならない。そこで「義命」という言葉を選ばれた。

出典は中国の古典である『春秋左氏伝』。その中の成公八年の条に「信以て義を行い、義以て命を成す」とある。従って、普通にいわれる大義名分よりもっと厳粛な意味を持っている。
国の命運は義によって造られて行かねばならない。その義は列国との交誼においても、国民との治政においても信でなければならない。その道義の至上命令の示す所によって終戦の道を選ぶのである。

結局、「★義命の存する所」という一番の眼目を、 ⇔「★時運の趨く所」という最も低俗というより不思議な言葉に改められてしまった。

これは永久に★とりかえしのつかない、時の内閣の重大な責任といわねばならない。

「★時運の趨く所」の意味はいってみれば★成り行き任せ。終戦が成り行き任せで行われたということは、天皇道の本義に反する。

★時運はどうあれ、勝敗を超越して★「義命」という両親の至上命令に従うことで、はじめて権威が立つのである。

戦後、日本は大きく繁栄した。しかしこの繁栄の基礎に、「信以て義を行い、義以て命を成す」。★義命が存していたならば、物が栄えて心が亡ぶと識者が顰蹙するほど、人の心は荒廃せずに済んだであろう。 ⇒ 安岡正篤エピソードINDEX



【金属類回収令】  公布;1941(昭和16)年8月30日(勅令第835号)

施行;1941(昭和16)年9月1日  廃止;1943(昭和18)年8月12日(勅令第667号)

日中戦争から太平洋戦争にかけて、戦局の悪化と物資、特に武器生産に必要な金属資源の不足を補うためとられた政策が、官民所有の金属類の回収で、それは、1941(昭和16)年8月30日公布、同年9月1日施行の国家総動員法にもとづく金属類回収令により実施された。
これより以前の1937(昭和13)年にすでに政府は、鉄鋼配給規則を制定する一方、政府声明を発して不要不急の金属類の回収を呼びかけており、1939(昭和14)年1月以降は、マンホールの 蓋(ふた)、ベンチ、鉄柵、灰皿、火鉢等鉄製品の回収が官公署(役所)・職場や愛国、国防両婦人会や女子青年団の手で実施されていた。
しかしそれらはあくまでも法律的強制力のない任意の供出であったため、それでは需要をまかなえなかった。そこでとられたのが金属類回収令の制定であり、これにより、回収は、官公署(役所)・職場・家庭の別なく、子供の玩具を含め、金属類は根こそぎ回収の方向へと進んで行った。そのため、子供の玩具は竹製や木製をなった。
翌1942(昭和17)に入り各県は、資源特別回収実施要綱を定めて大々的な回収に乗りだした。1943年9月には東京都が金属非常回収工作隊を結成し、都庁以下全役所と国民学校・中学校の暖房器機から回収をはじめた。それらにより、家庭で現に使われていた鍋釜等の金属製品類までもが回収対象となった。もとより、官公庁、市町村の施設、神社、寺院 教会なども例外ではなかった

金属回収で“応召”(おうしょう=召集令状を受け軍務につくため指定地に行くこと)した梵鐘(ぼんしょう=寺院の鐘楼の釣り鐘)−1942年9月 

神戸市中央区の大倉山公園内の立ち並ぶクスノキの緑の中、1911(明治44)年に設置された石の台座はあり、頂上に丸い穴が開く。かつて台座の上には金属類回収令により供出された高さ3メートルの後の初代首相で初代兵庫県知事、伊藤博文の銅像があった。国民総動員の総力戦を今に伝える。

この時代に生まれた新語が、「家庭鉱脈」というキャッチコピーで、家庭にあった鉄びん・火箸・花器・仏具・窓格子等をはじめ、金銀杯・時計側鎖・煙管(きせる)・置物・指輪・ネクタイピン・バックルなどが根こそぎ回収されたのである。また、地方鉄道の線路や寺の梵鐘(ぼんしょう) が供出されたのもこの時代であり、複線の鉄道線路は単線となった(例えば、愛媛県松山市の1945年2月21日に、伊予鉄道高浜線松山市〜高浜間9.4キロが線路供出のため単線運転となった。この後遺症が,現在も梅津寺〜高浜間単線運転という状態で残っている。また線路供出は,市内城南線一番町〜道後間2.1キロも対象となったが、撤去工事に着手しないうちに敗戦になり,その撤去を免れた。このときの単線化による供出物件は、軌条13.725キロ、鉄材にして411トンであった−−『伊予鉄道百年史』293頁)。

同令が改正された(山本五十六連合艦隊司令長官が死去した)1943(昭和18)年4月からは、“まだある金属出せいまだ”の呼びかけで非常回収が強化された。この時は各校の二宮尊徳像をはじめタンスの取手や蚊張の釣手、店の看板なども回収され、ついで11月には、“まだ出し足らぬ家庭鉱”のスローガンの下で、回収が強行された。


名前※
MAIL※
SITE※
題名
メッセージ url email imgsrc image code quote
サンプル
bold italic underline linethrough  



 [もっと...]
パスワード※ (必須、入れなければ投稿できません)
オプション ※印の項目をクッキーに保存
 
2005-2014 Wa-net Project all right reserved and powered by Xoops Cube Legacy

Original Theme Designed by OCEAN-NET and modified by Wa-net Project