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1 | 受難の日に 受難の人を− |
ゲスト |
くちびるに歌を。 2011/4/28 1:06
[返信] [編集] ★日本人の心に、唇に ふたたび… さきの東日本大震災は、大東亜戦争後の荒廃にも勝るとも劣らない大規模な災禍をもたらした。坂本久ちゃんの「上を向いて歩こう」が切なさと希望を込めて人々の口に戻ってきた。最近、NHKが松任谷由美さんを起用して、デビュー曲の「春よ 来い」の新バージョンを中心とした企画を立て、<歌の千羽鶴>に祈りを込めようとしている。 しかし、それではまだ終われない。もう、ご年配の人には、察しがついているでしょう。 終戦時の廃墟の街角やこわれそうなラジオなどに、こつぜんと登場して歌われだした並木路子さんのあの「りんごの歌」の透明な声に他ならない。殺伐な、あるいはしおれきった人々のこころにぱっと希望の光をともし、戦後復興の励みとなったのは忘れられない。 東北地方の象徴的な果実の歌でもある、「りんごの歌」の新バージョンを復活させよう。 そして、ふたたび復活のシンボルとしよう。ただ、今度試みるこの曲の新バージョン企画はNHKなどではなく、民間ベースでみんなが寄って推進したいもの。 民間の音楽機関、音楽関係の会社、幅広いNGO、関係地方自治体、被災地に駆けつけているボランティアたち、東北地方出身の歌手連合…などなど。 企画の意図を考えると歌手セレクトが難しいが、お連れ合いが自然食と千枚田の保存に尽くした東大出身のあの方か、沖縄出身でちっともパフォ−マンスも飾らない自然体の若手ナンバーワンと目されるあの子か…うーん、迷うところである。選抜は企画参加者で考えようではないか。 ♪赤いーりんごに くちびーる寄せて〜 だまあって見ている あおいそらぁ〜♪ 避難所に希望がわきたち、お年寄りの腰がしゃんと立ってきた姿が見えるようである。 ◇ ◇ ◇ ★受難の日に 受難の人をー。 現代の「後藤新平」は、岩手に雌伏する大器・小沢一郎をおいてない。ほかに誰が居るというのか。大震災を復活させる復興庁長官かいまの宰相に小沢を選出することが王道であるのを、賢い日本人はまもなく気づくであろう。 白羽の矢を現代日本最大の実力者、東洋の大人の頭上に。この不幸な時代に、サイコロの目はこの方の両肩の上に重なっているのを知るべし。 |
2 | Re: 受難の日に 受難の人を− |
ゲスト |
名無しさん 2024/1/25 18:27
[返信] [編集] 輪島塗の被災事業者支援 海南の漆器組合でも義援金受け付け 01月25日 13時06分 能登半島地震で被災した伝統漆器「輪島塗」の産地、石川県輪島市の事業者を支援しようと、全国の漆器産地の組合が協力して義援金を受け付けていて、海南市の組合でも募金箱を設けています。 漆器産地の組合で組織する「日本漆器協同組合連合会」によりますと、「輪島塗」には100余りの個人や企業がたずさわっていて、今回の地震で、数多くの職人の自宅や工房が被災したということです。 このため、被災事業者を各地の漆器産地が協力して支援しようと、義援金の受け付けを始めていて、海南市の「紀州漆器」の組合でも22日から展示販売コーナーに募金箱が置かれています。 募金箱には、「うるしの絆 がんばろう輪島!」と書かれていて、地元の人などが寄付に訪れていました。 寄付をした漆器店の人は「職人には高齢者も多いので心配しています。ひとごととは思えない」と話していました。 紀州漆器協同組合の小柳卓也 事務局長は「一日も早い復興を願っています。少しでも役に立てることがあればうれしい」などと話していました。 https://www3.nhk.or.jp/lnews/wakayama/20240125/2040016652.html |
3 | 漆の絆 |
ゲスト |
名無しさん 2024/1/28 15:43
[返信] [編集] 黒江「義を見てせざるは…」 根来はどうした ![]() |
4 | Re: 漆の絆 |
ゲスト |
名無しさん 2024/2/12 20:26
[返信] [編集] 石川県能登地方との絆といえば海南市の大野山 そこの城、かつて大野城に入った紀伊守護大名の初代が畠山基国だが、彼は本格的な拠点をやがて広川に移し、それを嫡子の満家に継がせた (黒江塗の漆器は、この室町時代から興った産業) 一方、次子の満則を引き続き大野に住まわせ、その城主とした 後年、畠山氏は分国の能登に新たな守護家を設け、満則あらため畠山満慶がその初代となり、能州七尾に移った 現在、東京で著名なミュージアム・畠山記念館を創立した元華族の畠山家は、この能登畠山氏の子孫であり、その元はここ紀州の山城が出発点だった訳である ちなみに紀伊畠山氏は現在は祖先の足利氏を名乗っており、和歌山県とはもはや無縁状態 |
5 | Re: 漆の絆 |
ゲスト |
名無しさん 2024/2/14 18:48
[返信] [編集] 根来塗りの文化も室町からやな |
6 | Re: 漆の絆 |
ゲスト |
名無しさん 2024/2/22 19:41
[返信] [編集] 石川弁と和歌山弁は関西訛りの傍流という点でニュアンス近し |
7 | Re: 漆の絆 |
ゲスト |
名無しさん 2024/8/16 17:44
[返信] [編集] 4 かつての野上電鉄唱歌には「大野城址を仰ぎ見る〜♪」という歌詞があった しかし大野城、もはや誰も触れない死語 市は鈴木屋敷しか言わなくなった |
8 | Re: 漆の絆 |
ゲスト |
名無しさん 2024/11/27 20:11
[返信] [編集] 引用:
歴史に埋もれた有力者・畠山道端(満家) 紀州が江戸幕府8代将軍を出したのは有名な話だが、もっと昔、室町幕府6代将軍を籤引きで選ばせた管領の畠山満家が紀伊ゆかりの大物大名だった事はほぼ全く知られていない この満家の軍はとにかく強く、河内紀伊大和における南朝勢力の残党狩りや、応永の乱(紀伊前守護で謀反を起こした大内義弘の軍)の鎮圧にも功績があり、室町時代前期(4〜6代将軍)における幕閣の重鎮だった(「天下の美挙」と称賛された程) 暴君で知られる将軍の足利義教も、自分を選んでくれた満家にだけは終生頭が上がらなかったといわれている(義教が独裁者になるのは満家の死後から) やがて戦国時代を招く室町幕府が不安定になるきっかけ、それは義教が暗殺される嘉吉の乱だが、それが起こった要因として強力な宿老の畠山満家(出家して道端)が没し、いなくなったのが大きかったといえる |
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