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7 | Re: 「和ネット評論」スーツが似合う仁坂知事と作業着が似合う東国原知事の相違点 |
ゲスト |
名無しさん 2007/2/12 18:49
[返信] [編集] 宮崎県の東国原知事が知事選のライバル候補を副知事に起用するサプライズ人事で、仁坂知事もこうした意外性、柔軟性も参考になるのでは、と、和ネット評論にあったが、結局、東国原知事は、後援者らの反対などで人事がぼしゃったね。東国原知事が事前に人事を漏らしたことや、副知事候補の本人が、宮崎に単身赴任しているので、週2回東京に帰りたいとの条件を出しため折り合わなかったという。ふざけた話しで、東国原知事の根回しのミスも目だったな。そういえば、和歌山県の副知事も単身赴任だったな。 |
8 | Re: 「和ネット評論」仁坂県政の選挙戦略は 県議選を終えて課題残した |
ゲスト |
和ネット 2007/4/9 11:59
[返信] [編集] 今夏行われる与野党対決の参議院選。その前哨戦と位置づけられる今回の統一地方選。8日投開票の県議選で和歌山市、岩出市など6選挙区で計16人の当選者が決まり、無投票の8選挙区を含め全議席46人が出揃った。無投票選挙区のうち、海南市、有田郡(各定数3)では共産党候補各1の計2人が無投票当選し、共産党は今回、和歌山市で当選の2人を加えて現有議席4を確保した。西牟婁郡(定2)では自民と無所属の現職を相手に共産党の元職高田由一氏があと一歩の戦いを見せ、日ごろの地道な活動ぶりが伺えた。しかし、共産党県議が2人も無投票で県政に送られた例は過去にない。今回、全国では、共産党公認候補が無投票当選したのは大阪、京都、兵庫などの府県議選で7人。うち本県は2人を占めた。共産党は、仁坂県政の純然とした野党だ。滋賀県では無党派の嘉田由紀子知事率いる「嘉田派」が自民党系議員の過半数当選を阻み与党を躍進させた。反面、仁坂県政の野党対策は、判然としないように思える。 戦後初の民選知事小野真次から継承された大橋正雄、仮谷志良、西口勇知事の保守本流の時代、いずれの知事も対共産党戦略として、県議選には、一貫として知事与党候補を擁立した。当然、共産党の無投票当選などは容認できるものではなかった。小野の5選時と後継者の大橋の緒戦時、知事選の対決候補は共産も加えた自民対保革連合の知事選だったが、大橋2選後、共産以外はオール与党で、公明は中道路線を歩みつつ、共産党とは一線を隔した。中央政権は「自共対決」といわれるほど共産党の全盛期もあって、衆院和歌山1、2区(当時は2選挙区制)で共産党国会議員2人が誕生したことも。以後、歴代の知事は、共産党の擁立候補との対決選挙が続いた。現職知事の無投票独走は、いずれも共産党が阻んだ。議会制民主主義の時代、与野党対決選挙は不可欠だが、歴代の知事は県議選では、共産党候補追い落とし全力を傾注した。県出先機関の職員票を与党候補に按分するなどして、与党勢力の温存を図った。知事選を含む県ぐるみの選挙に対する批判も強かった。この最中、共産党県議が無投票で選ばれた例は過去に1回だけあった。1995年、海南市選挙区で、党公認の中山豊氏が、現市長の無所属神出政巳氏の2人が選ばれた。この時、新人の自民候補予定者が有権者に酒食を接待したことから公選法違反として喧伝され、立候補の辞退を余儀なくされため、無投票となった唯一の例外だ。 一方、共産党県議団は毎年、県予算編成前に、教育、福祉面などの政策提案を知事に行うが、大橋、仮谷、西口知事は、共産党県議団との対面を避け、担当部長ら代わりに対応した。また、共産党県議の県議会一般質問には、党の手柄となるような、前向きな答弁もしなかった。 これが露骨とも思える知事の野党対策だったが、前知事木村良樹、現・仁坂知事となってからは様変わりした。木村知事は県議会で共産議員も含めほとんど平等に答弁し、仁坂知事は、共産議員の質問に、それ以上の時間をかけて答弁することもあるなど、当の議員を驚かせた。「前知事も現知事もよくしゃべる」というのが共産党議員の知事評である。木村前知事の野党とも差別のない一見、民主的・公平な議会答弁の反面、1期知事選のときのライバル候補大江康弘支持者の建設業者の指名妨害工作は露骨を極めた。このことは、一連の官製談合事件の公判で明らかにされている。木村の政治信条は、個人的な敵味方の判断による低次元なものだった。共産は、木村の改革県政のうちの工科大学建設と雑賀崎沖合埋立事業の事業凍結だけは高く評価してはいるが、知事選では依然として対決した。仁坂知事は知事選で共産と戦った。民主は候補者を擁立できず、自主投票とした。仁坂知事は、その民主と、その支持団体で県内最大の労働組織「連合和歌山」の旗開き、年賀会には、来賓として招かれたが、代理出席で済ませた。自民党県連幹部から、与野党対決の参院選を目前に、民主党関係の来賓出席は、敵対行為に値するとクギを刺された経緯もあった。県政の与野党対決で攻めの嘉田滋賀県政、自身の主体さえ見えない仁坂県政。しかも今回、無投票選挙区は、党利党略を避けた自民と共産の「すみわけ」の妥協の産物としか言いようがない。双方、議員定数の減員に反対した。全国で唯一、定数減のない法定上限定数の県議会。与野党の政策対決による切磋琢磨を忘れたことが、県議会史上最低の投票率53・93%となって跳ね返ったのではないか。官製談合追放の県政刷新への論争は選挙戦で乏しく感じられた。有権者へただお願いだけの選挙戦で県政の意識改革はできないだろう。仁坂知事の政治姿勢・戦略を含めて今後に課題を残した。 |
9 | Re: |
ゲスト |
一言屋 2007/4/10 7:22
[返信] [編集] 西口さんも仮谷さんも共産党県議団の要望申し入れなどは、対面を避けて部長らに取り扱いをまかせましたが、共産党県議が代表を務める住民団体とは面談して要望、陳情に耳を傾けていました。共産党県議も知事と対面するときは、住民団体と使い分けしていたようです。木村知事時代から知事は共産党県議団と直接対話の機会が二回、仁坂さ知事とは一回あったようです。 |
10 | Re: 「和ネット評論」 東国原知事VS記者クが投げた波紋 和歌山県政の場合はどうか |
ゲスト |
和ネット 2007/4/20 12:03
[返信] [編集] 宮崎県の東国原知事が、県政記者クラブ主催の会見の席上、「特筆すべき発表がない時も、定例会見って必要ですか」と問いかけたことから、記者が「稚拙な質問だ」と反発。同知事と県政記者クラブで激烈バトルが勃発した事件を契機に和歌山県の仁坂知事ら歴代の知事による県政記者会見の話題、問題点を検証する。 東国原知事はタレント出身と人気と強い個性からマスコミの寵児だ。記者会見よりバラエティ番組に出演した方がPRになると思っているのだろうか。同知事は、「稚拙だとは思っていません。根本的な疑問」「統一選や米軍再編に対する見解も、飽き飽きするほど言ってきた。今さら何を聞きたいのかな」「会見の内容を全て報道してくれない」などと不満顔。「あなた方が聞きたいことが必ずしも県民が聞きたいことだとは思わない」などと述べた。東国原知事は知事ブログなどで「普段の質疑応答より、知的レベルの高い彼らと、本質論での議論の方が刺激的でより濃密で面白かったなどと挑発モードだ。 和歌山の場合、定例記者会見は、木村良樹前知事当時が月1回。県地方新聞協会、民放記者も加わるが、2期目から県政記者クラブ(加盟12社)だけで別に1回行われた。仁坂知事からは、定例会見は週1回。知事部局の各部長も顔を揃える。さらに臨時記者会見もあって、この3月中は計6回会見があった。 記者会見での知事と記者団との応答のありようは、東国原知事の場合「刺激的でより濃密」だったが、以前の木村知事は、記者クラブとの関係を「心地よい緊張関係」と表現したものの、大阪地検特捜部が官製談合の疑いで知事室などを捜索以後は、厳しい追及質問が相次いだ。 仁坂知事は発表資料を手に懇切丁寧な説明をすると評判だ。 かつて、長年、県政記者をしていた筆者の記憶の中には、知事と記者クラブの対立はなかったが、発表の遅れやタイミングなどで県政記者クラブと県広報担当者とのトラブルはあったが尾を引くことはなかった。最近の地元紙報道で、県議会一般質問の応答内容の要点を県広報がクラブに提供することを取り止めようとしたが、クラブ側が継続を求めトラぶったらしい。広報側は、記者室のテレビに一般質問をそのまま流していることから二重手間だと打ち切りを通知したようだ。その結末は聞いていないが、記者たちは他の仕事も抱えていつも多忙。質問内容の聞き落しもあり、要点メモで確認できれば便利であることは確かだ。 木村知事は、官製談合の裁判で「政治は清濁合わせの呑むことも必要だ」などと述べ、記者たちは「あの改革派知事の言葉なのか」とわが耳を疑ったという。木村知事は、記者会見でとうとうと改革姿勢を強調し、記者らがその奥底に潜む欺瞞性を見抜けず、もっぱら県政の透明性を含む改革姿勢を無批判に垂れ流ししたのではなかったのか。疑問符がつく。 仁坂知事の記者会見の模様は、県のホームページに質問記者の所属社名と質問内容や知事の答弁の詳細がその都度、広報されているので目を通すよう薦めたい。 また、木村知事以前の西口勇、仮谷志良知事時代は、定例会見はなく、必要に応じてセットされた。西口知事は2期目の途中、体調を崩してウツ状態となったため、関係部長が主な課題を記者発表するだけになった。西口、仮谷知事は、ときどき記者クラブに茶菓子をお土産に立ち寄って、雑談しで過ごした。本音も聞けたため、面白い記事が書けたこともあった。木村前知事、仁坂知事とも記者クラブに立ち寄ることはない。 仮谷知事当時の1979年。正月明けの新春記者会見は画期的なものになった。特段、発表する予定はなく、記者たちから「何か新春らしい夢のあるネタはありませんか」の声が出た。しばし沈黙が続いたが、同席していた西口勇知事公室長は、「淡路島に橋かトンネルをつなぐどえらい初夢もいいなあ」と口にした。−。知事と記者たちは和気あいあい。当時、四国と本土を結ぶ瀬戸内海の3架橋計画や建設が進んでいることもあって、紀淡海峡直結道路の話題でかなり盛り上がった。知事サイドは、夢のような構想に自信がもてなかったようで、記者の反応を確かめるため、それとなく、公室長を通じてリークしたと思われる。そこに当初予算に調査費を付けるためのたたき台にする予定の紙1枚の簡単な紀淡海峡資料が配られた。まだ企画部でも検討したことのない構想前のものだ。仮谷知事は「検討に値するなあ」と一言つぶやいた。記者はこれに飛びついた。翌日の紙面は、「和歌山県が紀淡トンネル構想検討へ」の記事が踊った。ヒョウタンからコマが飛び出す、想定外の新春記者会見だった。仮谷知事は、早々記事にされるとは思ってもいなかったようだ。翌年、日本鉄道建設公団総裁が現地視察したことから構想が加速した。和歌山市加太から洲本市まで全長40K、海峡幅11K。県がコンサルタントに依頼し、このトンネル方式を、ロッキー山脈をまたぐ長大トンネルで実現中の台車の列車に車を載せて走るカートレイン方式が望ましいとする構想も発表された。その後、吊り橋構想が主流となり、和歌山、大阪、兵庫の関係自治体による期成同盟や関西財界も乗り出し多くの促進団体が誕生し、国の太平洋新国土軸構想、関西大環状道路構想の要ともなった。現在、費用、需要面で検討中のため、実現までは一休み。西口公室長は、出納長、副知事と出世街道を駆け上り、仮谷知事の5選目の任期切れとなった知事選に立候補し、和歌山市長の旅田卓宗氏と戦ったが、西口氏は選挙時、「私は紀淡海峡道路の構想し推進した。実現に尽くす」と公約を掲げ、知事になった。 定例記者会見は、形式だけで実りあるものになるとは限らない。緊張あり、刺激的で濃密も、知恵も夢も、時には激論、知事VS記者クラブの場面があってよいのではないか。県民が知りたいことなど、実りさえあればよい。東国原知事は、記者クラブの向こう側に国民全ての耳、目があることを今一度見直すべきだ。同知事の口からではなく、記者たちから「刺激的で濃密な記者会見だった」と口にしてほしかった。記者会見にはメリハリがほしい。 |
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