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Re: 広川が紀州和歌山の中心だった時代 名無しさん 2022/9/19 23:59
Re: 広川が紀州和歌山の中心だった時代 名無しさん 2022/9/25 21:43
広城 遺構図 畠山 2022/9/28 17:35
戦国紀州のキリシタン大名 イースター 2023/4/9 12:54
Re: 広城 遺構図 名無しさん 2022/10/7 21:42
Re: 広川が紀州和歌山の中心だった時代 名無しさん 2023/3/5 20:39
Re: 広川が紀州和歌山の中心だった時代 名無しさん 2023/3/15 13:33
和歌山県民にほとんど知らてない史話 鶴寿丸 2023/5/23 20:40
Re: 和歌山県民にほとんど知らてない史... 名無しさん 2023/6/12 18:11
昔の八月十五日の出来事 二つ引両 2023/8/15 17:00

15 Re: 広川が紀州和歌山の中心だった時代
ゲスト

名無しさん 2022/9/19 23:59  [返信] [編集]

畠山稙長の書状展示中
https://hakubutu.wakayama.jp/exhibit/tegami2022/
16 Re: 広川が紀州和歌山の中心だった時代
ゲスト

名無しさん 2022/9/25 21:43  [返信] [編集]

大河ドラマ鎌倉なんちゃらで、
紀州畠山の先祖話言うてたな
17 広城 遺構図
ゲスト

畠山 2022/9/28 17:35  [返信] [編集]

https://ameblo.jp/tairasyouben/entry-12765605169.html

広城の遺構図です。
18 Re: 広城 遺構図
ゲスト

名無しさん 2022/10/7 21:42  [返信] [編集]

>>16
直接の先祖じゃなく、鎌倉御家人畠山の未亡人が再婚した足利義純の子が家名を継承
約150年後に、その子孫(畠山義深)が北朝軍を率いて紀州に遠征、南朝軍を鎮め、その子(畠山基国)が紀伊守護大名に

>>17
中世城郭はロマンあるね
和歌山県内には埋もれた山城が豊富
海南の大野城から広に守護所が移り、高城山に広城が築かれたのは畠山基国の頃、
麓に御殿(広館)ができたのは畠山政長(室町幕府管領)の頃と思われる
20 Re: 広川が紀州和歌山の中心だった時代
ゲスト

名無しさん 2023/3/5 20:39  [返信] [編集]

引用:

名無しさんさんは書きました:
畠山稙長の書状展示中
https://hakubutu.wakayama.jp/exhibit/tegami2022/

県博、今は稙長の父畠山尚順(尚慶、卜山)と
その敵対者だった畠山義就(義夏、嶽山)の2人が、
それぞれ紀伊国人の小山氏に贈った感状や書状を展示
21 Re: 広川が紀州和歌山の中心だった時代
ゲスト

名無しさん 2023/3/15 13:33  [返信] [編集]

幕末明治に濱口梧陵翁が築いた広村堤防は有名だが、
実はその400年ほど前の室町時代に畠山氏が築いた「畠山石堤」というのも海側に現存している。
もはや城跡は草叢と化しているが、その石の堤だけはしっかりと、今でも紀伊守護大名畠山氏の痕跡として確認できる。
22 戦国紀州のキリシタン大名
ゲスト

イースター 2023/4/9 12:54  [返信] [編集]

畠山高政(1527〜1576)

墓は観心寺にあり「一空」の法名より禅宗への帰依が窺えるが、最晩年はイエズス会のバテレンより天主教の洗礼を受け、デウスを信仰したと伝わる。(この特徴は豊後の大友宗麟に近似)
福音書に親しみ、キリストの復活祭を祝す…、そんな国守が在命していた秘話がこの和歌山にはあった。

さらに、その一空高政の没年に生まれた武将浅野幸長が約30年後、紀伊の太守として現れ、雑賀荘に「若山教会」を建てたほど、彼も一度は熱心な切支丹だった。まるで高政公に導かれたかのような奇遇である。

されど爾来、耶蘇基督の教えは固く禁令に。
その後の紀州藩侯(初代徳川頼宣は島原の乱でキリシタン討伐の幕軍に参加・・)に於いては、およそ考えられなかった過去に変わる。
歴史は深い。。。
23 和歌山県民にほとんど知らてない史話
ゲスト

鶴寿丸 2023/5/23 20:40  [返信] [編集]

紀州ゆかりの歴史上で最も大規模な戦争は何か?といえば、
天文11年の河州侵攻戦だろう
(西暦1542年、あの徳川家康が生まれた年の出来事)

敵は高屋城(羽曳野市)の木沢長政、攻めるは守護大名・畠山稙長
稙長は本拠の河内を奪還するため、また将軍足利義晴の要請もあり、雌伏してきたここ紀伊広城から総勢3万人の兵を集めて総攻撃、見事に打ち破り勝利した

この軍勢の内分けは、高野粉河根来の衆徒1万、雑賀熊野などの国人衆1万、湯河玉置山本氏などの奉公衆1万、計3万だったと伝わる
それだけの大軍勢、また地理的に戦意がバラバラの紀州人が一国まとまり、どこかと戦った歴史などは他に例がなく、この時だけだ
それらを糾合し、団結可能としたのが国主・畠山稙長の人望、カリスマ能力だったと中世の研究者からは高く評価されており、彼は山陰の尼子氏と連携して室町幕府の再編成、天下を握る野望があった?とも言われる(自筆の書に「天下の覚えに候」とあるのが、天下を取る意志の表れとの解釈)

しかしその僅か3年後、稙長は41歳(36歳説も有)で急死、畿内の情勢は混沌化する
畠山家は家臣の守護代遊佐氏の専横もあり凋落、二代あとの畠山高政は奮闘し足利幕下に参画したが、続く畠山秋高は反信長派の遊佐により暗殺され、その次の畠山貞政は雑賀衆らに推戴され秀吉軍と対抗したものの惨敗滅亡、1585年紀州の中世は終焉した

もし稙長公が長生してれば、紀伊は元より河内和泉大和まで治める屈指の大名となり、足利幕府を支える近畿勢力として三好織田の台頭は許さず室町時代は継続、歴史は大きく違ってたかも知れない・・・
24 Re: 和歌山県民にほとんど知らてない史話
ゲスト

名無しさん 2023/6/12 18:11  [返信] [編集]

>1585年
和歌山城誕生と入れ替わりか

確かに県の歴史に1ミリも無いな畠山って
http://wakayama-rekishi100.jp/

25 昔の八月十五日の出来事
ゲスト

二つ引両 2023/8/15 17:00  [返信] [編集]

戦前の郷土史「紀北伝説集」に収録されている『高山亡魂記』は江戸時代の本だが、その言い伝えは戦国時代の永禄年間に遡る

高山(和歌山市の高積山)に夜な夜な亡霊が現れ、民衆を悩ませていると耳にした紀伊の守護・畠山高政が追福慰霊を行うという話
その亡霊の正体は、高政の先祖の畠山義深に、南北朝時代の延文年間「龍門山の合戦」で敗れて散った南朝軍の将・塩谷伊勢の霊魂だった

龍門山で死んだ武将の亡霊がなぜ高積山に現れたのか?
それは敵の畠山軍が陣を張ったのが背後の和佐山(今の城ヶ峯)だったからで、そこは元々南朝方の城だったのだ
ところが地元の郷士・和佐が北朝の幕府方に寝返り、畠山義深に提供してしまい、それが元で南朝軍は敗戦、塩谷はこの土地を恨んで絶命した訳であった
派遣した臣兵より、亡霊が泣きながら呟くその内容を聞いた高政が憐れに感じ入り、武士の情けで追悼・・という物語

あくまで伝説だが、徳川時代を生きた江戸期の民衆にとっては、南北朝から戦国まで存在した殿様畠山氏はまだ身近な存在であったことを窺わせる興味深いエピソードである




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